橋本良亮くん作詞のソロ曲

私は、橋本良亮くんの紡ぐ言葉が好きだ。
話す言葉も、書く文章も。

以前どこかで、自分の言葉は拙いから、という様なことを橋本くんが話していたことがあった。
だが、私は彼程、あたたかくて、飾らない真っ直ぐ胸に飛び込んでくる様な言葉を口に出来る人を知らない。もしかしたら、それは彼が言う拙いからこそなせるものなのかもしれない。
でも、仮に言葉が拙い人、皆がそんな言葉選びを出来るのかといったらそうではない。

だから、要するに橋本くんの言葉選びのセンスは才能なのだと思う。
おまけに彼は言葉を使う上で、決して自分を偽らない。自分を着飾らない。外部に向けて書くものは特に、誰しも自分をよく見せようとするものだと思うが、彼の言葉はいつだって等身大だ。
そのままの自分を、自分の思いを言葉に出せる。

そんな橋本くんは、以前、雑誌でこうも発言をしていた。
話すことと書くことは別であると捉えている。その上で話すことよりも書くことの方が得意だ、と。

こうなってくると橋本くんがどんな文を書くのかめちゃくちゃ気になりません!?いや、気になりますよね??

さて、そんなわけで前置きはこのくらいにしてそろそろタイトルでもある本題に入ろうと思います。

2004年9月に事務所に入り、2016年5月26日の今日に至るまで橋本くんが公式の場で自らが作詞した曲として発表した曲は全部で3曲である。

  1. stay with me           http://kashinavi.com/s/lyrics86595.html
  2. 秘密の愛

〜番外編〜

(そばに/当時はっしーを可愛がってくれていたNさん作詞作曲)


勘の鋭い方はタイトルからもお分かりだろうが、上の三曲は全てラブソングである。それはもう見事なまでに橋本くんのひたむきな愛が詰まった曲達だ。
橋本くんがラブソングを書く理由としては、彼がラブソングを好きということや自分はファンの子の王子様であるというアイドルとしてのスタンスなど様々あるのだろう。

でもきっと橋本くんにとって、何よりも愛というかたちが一番素直に自分の思っている言葉を出しやすく、言葉として乗せやすいからなのではないだろうか。

これは、わたしが勝手に抱いているイメージなのだが、今年で約12年橋本くんを見てきて、ずっと思っていることがある。
彼は一番アイドルで、一番一般人だ。
というのも誤解しないで欲しいのだが、煌びやかな芸能界という世界にいながらにして、感覚が普通のどこにでもいる22歳の男の子なのだ。
橋本くんは良くも悪くも22歳の普通のどこにでもいる男の子で、人を好きになって、喧嘩もするし、仲直りもするし、

と、2016年の夏前にわたしはここまで書いてブログを下書きに埋めてしまっていた。

 

時は変わって、2018年現在、上記にくわえてhazy loveという曲(2016年夏ソロコンにて)が発表されている。

TDCでこの曲をはじめて聞いた時、わたしは「橋本くんが書いたんだろうな、でも橋本くんが書いたんじゃないみたいだ」と、素直にそう思った。

というのも歌詞の内容も言葉の選び方も色も今までとは全く違うのだ。どちらがいいとかわるいとかそういう話をしているのではない。

ただ、今までのものとは何だか違うような気がした。

それは、歌詞を書いたときにハシをやっていた影響なのかもしれないし、それまでに橋本くんが経験してきたことからの影響なのかもしれない。

だけど、それは私が勝手に思い描いていた橋本くんのキャパシティーを越えた。衝撃だった。

言葉を選ばずにいうと、はじめて橋本くんに対して得体がしれない(誤解なきようにいうと気味がわるいの意ではない)と感じた。直感的に。

2016年のあの時、22歳の橋本くんを普通の男の子と称したものの、hazyloveを聞いてはじめて、橋本くんが20代の男性であるということを強く実感したのかもしれない。

ソロコンでこの曲を歌う橋本くんは、客席を一切見なかった。曲の世界観を彼はそう表現した。きっと、橋本くんがこの歌に込めた思いを届けたい誰かは客席にはいないんだろうなとさえ思わせるようで正直私はhazyloveの歌詞の中の想われ人に嫉妬をした。橋本くんが書く歌ではじめて自分が主役でないとさえ、思った。

私はこの時、はじめて橋本くんが書く歌の<君>になっていたことに気がつかされた。

○○くんの姫><のようなファンの子を見るたびに「楽しそうだけど絶対こういうファンにはなれないんだろう」と思っていたわりとドライなファンである私でさえもだ。

 

歌に自己投影なんてちゃんちゃらおかしい、そう思うかもしれないがそれが小説だったらおかしいだろうか?ドラマだったら?映画だったら?誰しも一度は経験があるだろう。

橋本くんの作る歌には、聴く人を歌の主人公にする力があるのだと思う。それは、橋本くんが紡ぐ言葉が聴く人の心に届いているからこそ、なせる技なのだと思う。



言葉は、武器だ。言葉は、人を動かす。
言葉は、時として人を傷つけ、言葉は、時として人を助く。

まだ彼を知らない幾人もの人が彼の優しくて柔らかな言葉に触れる機会がこれから数多くあることを一ファンとして強く願っている。

 

橋本良亮くん14周年のお祝いの言葉に変えて。

デストラップ初日

ポエムです。

最近の橋本くんに私はある変化を感じている。
以前と比べ、自分の弱いところを見せてくれるようになった。積極的に言葉にするようになった、ように思う。
不安なことがあるならそれを先に言っちゃえばいい、なんて人は簡単にいうけど、言えるのは即ち自分の弱い部分を見せられるのは本当に強い人だけなのだと思う。
だから橋本くんは強くなったのかなあ、なんてふと思った。

橋本くんが最近も雑誌やwebで吐露していたとおり、今回に限らず、舞台もコンサートも‪初日はいっつも不安そうで心細そうで。だから大丈夫だよ、出来るよって見守ってた。
でも心配なんてしたことなくて。だって、橋本くんは出来るもん。出来るどころかいつもいつも期待値以上の姿を見せてくれるから。

橋本くんが気づいてるかは知らないけど橋本くんは、初日に言葉を、歌を発した瞬間不安なんて吹き飛んだみたいな顔するんだよ。
それどころか日にちが経つにつれてどんどんどんどん舞台を飲み込むみたいに強くなって、楽しそうになる。公演が終わればひとまわりもふた回りも大きくなる。
そんな橋本くんが大大大好きだよ。

デストラップが終わった時、どんな橋本くんに出会えるのか今からすっごく楽しみ。

デストラップ初日!楽しんで!ファイティン!

橋本良亮くんの歌うわたし鏡にみたもの

※個人的備忘録なので諸々ご了承ください。

2016年7月30日、橋本良亮くんの人生で二度目のソロコンサート、ハシツアーズ〜もうかわいいなんて言わせない〜初日。

サブタイトルはどこへやら、手書きのお手紙をモニターに出してくるなどかわいさMAXなコンサートだったのだが、わたし鏡は、そんなコンサートの終盤に
『次はちょっと明るめの曲を歌いたいと思います。聞いてください、わたし鏡。』
という前振り*1とともに歌われた。

このわたし鏡とは勿論、関ジャニ∞安田章大くんの2007年のソロ曲(「K2J ズッコケ大脱走」収録)のことである。*2


今年もソロコンサートをやると聞いた時、わたしは昨年のはじめてのソロコンのことを思い出していた。

はじめての自分だけのコンサートにJr.時代にメインで歌った限界メーター、少年のまま、ナチュサン、そしてバックで踊っていた気まぐれJET、Jr.時代の橋本くんの定番曲愛のかたまりといった懐かしの曲を選ぶところが抜かりなくて、橋本くんらしいなあ、って。
昔からのファンに対しての還元を忘れないといったら言い方はアレだが、しっかり懐かしさにも浸らせてくれる、そういう細かいところに気を回してくれるところ*3もずっと好きだったんだよなあって。昨年は、そんな風に思ったんだっけ、なんて。

そんな選曲をする彼だからこそ、わたしは橋本くんが、2016年の22歳から23歳の今の橋本くんが選ぶ曲が、作るセットリストが、楽しみで仕方なかった。

それに何より、橋本くんは懐古厨(であるわたし)の絶妙なツボをつく選曲をする天才だ。
初年度ABC座のT.A.B.O.Oしかり、上記の曲しかり、橋本くんはこれまでにも度々、いい意味で期待を裏切る、且つ個人的にとても堪らない選曲をしてくることがあった。(ハシツアーズのこの星でうまれてもツボでした...りょ、亮ちゃん...ってなる)(錦戸の方)



だから、きっと今回も何がしか自分の琴線に触れる曲があるのかな、なんて思っていて。
音楽はその時のことを全て思い起こさせるから。
だから、だから、そうやってどこか覚悟をしていたのに。


それでも、わたし鏡は、予想外の選曲だった。
イントロが流れた瞬間、青春の小箱から思い出がどんどん溢れてきて窒息してしまうのではないかと思った。



まさか2016年にこの曲を聴くことになるとは思ってなかった。
しかも自担の歌声で。
よりにもよって、この曲を。


というのも2007年当時、わたしはこの曲がだいすきでだいすきで毎晩のように聴いていたのだ。当時、自分の意思で、自分の希望で海外にいたのだが、どうしようもなく日本が恋しくて、早く早く帰りたくて、でもそんなことを言っても来てしまったからにはどうしようもなくて、毎日を過ごすしかなくて。
そんな時に、「遠く離れた街にいるあなただから」「逢いたいトキ逢うのが 全てじゃなくて」のフレーズを含んだこの曲がヒドくリアルでそれこそ勝手に、この歌詞の“あなた”に橋本くんを重ねて聴いていた。今思えば、恋愛ソングに自担を重ねるなんて若いなあと思うけど。笑
でもその時のわたしは、この歌を励みに、日本に帰った時に橋本くんに会えるのを楽しみに毎日を精一杯頑張っていたのだと思う。


結局、この時抱いていた夢も置かれていた状況もなにもかも捨てて、大人になってしまったのだけど。

だけど、2016年、夏。
再び、この歌と巡り合った。
あの頃、逃げてしまった自分と向き合えと言われているようだった。
今、だからこそ向き合えと。今なら向き合えると。

*1:個人的には、この曲は切ない>明るいイメージだったから橋本くんから見たわたし鏡の解釈聞きたくてしょうがないです。どこかで話してください。

*2:http://sp.uta-net.com/search/kashi.php?TID=54291

*3:実際本人にその意図があるかは知らないから完全に想像にすぎないし、多分本人はやりたいことやってるだけ。笑

橋本良亮くんの事務所入所日に先駆けて

ブログ心機一転。

わたしが橋本くんを好きになって今年の秋で丸12年。名古屋の感謝祭で久しぶりにほわんとしてる橋本くんに会って、話して、懐古スイッチ入っちゃったので、12回目の事務所入所日も無事にお祝い出来ることに感謝しつつ、備忘録も兼ねて、過去を振り返り。超主観なので、合わない方はブラウザ閉じるの推奨。

ほぼ記憶だけで書いてるので、ざっくりになるだろうけどどこまで書けるかな。

 

ほんとーにほんとーにジュニアの頃からここまでずっと橋本良亮くんのファンでいて良かったなって思う。目を瞑りたくなるようなこともあったけどその倍以上、目を開けてこの世界をしっかり見なきゃって思わせてくれたから。だから、これからもずっと大好き。そんな橋本くんだから好き。

昔は、デビューなんて中々できなくて。長くやってても見切りをつけてやめてく子たちもいっぱいいて。勿論橋本くんはずっとデビューしたがってたし、ファンとしては心底デビューして欲しかったけどそんな子達を沢山見てきたからどこかできっとそんな未来がくることなんてないんだろうなって思ってた。

だから、こんな未来が見れるなんて思ってなかった。当時の自分に2016年も橋本くんはいるよ、しかもデビューしてるよなんて言っても多分冗談だ、って言って笑い飛ばすんだろうなあ。

 先日、twitterでこう呟いたんですけど橋本くんを好きになった2004年当時は、2016年がこんな未来だなんてまったく想像できなくて。

当時、次のデビューは絶対KAT-TUNだと思ってたし、KAT-TUNがデビューしたら暫くデビューはないんだろうなとも思ってたし、でもNewSが去年デビューしちゃったからKAT-TUNも暫くないかとか思っていて、まさかそのKAT-TUNがデビューしたものの12年後、半分抜けて、充電期間になってるなんて思いもしなかった。SMAPも然りだ。ずっとずっと当たり前にあるものだと思っていた。

12年前は、誰が言うでもなく、ファンの共通認識として、”デビューしてしまえば、いつ辞めてしまうかわからないジュニア時代とは違い姿を見られなくなることはない”と”デビュー=もう、絶対的に安心していいもの”というものがあった。そして、”デビュー出来るJr.は本当に本当にごく一部だ”とも。

今でこそ、持て囃されている嵐でさえ、(世間の言う)陽の目を見れていない頃で当時バックについていたJr.は、嵐組と呼ばれ、嵐組は墓場だなんて言われていた。(ファンとしては陽の目が見れなくて燻ってたなんて全然思ってないし、嵐と嵐組が作るコンサートはあったかくてすっげー楽しかったけどね!!!ほんとにほんとにほんとに楽しかった!)

無論、中にいる子達は真剣にアイドルであることに向き合っていたから、誰が口にするわけでもないけど、どこかでファンもJr.も所詮、”ジャニーズJr.は部活動の延長”で”いつか舞台を降りる時がくる”のを理解していたようなそんな空気が漂っていた時代だったように記憶している。だからそこで過ごしているJr.達は、どこか、とてつもなく青春の香りが強かった。

 

そんな2004年の9月に橋本くんはジャニーズJr.になる道を選んだ。サッカーと歌が大好きな、色が真っ白で顔が綺麗な可愛い子だった。笑うと八重歯が見えてそれがまた愛らしかった。この時からファンの子を大切にしてくれる優しい子だった。

入所直後のレッ生(死語)時代は、どこかダンスに癖があって、照れくさいのか目線は下でカメラを中々見てくれなくて、見たと思ったら照れくさそうにはにかむ子でそれが最高に可愛くて最高に好きだった。見た目は同期や同年代の中でも抜群に大人っぽくてカッコよかったけど、中身は人懐こくて、お喋りが好きでなんだかとても可愛い子だった。本当に本当に可愛かった。人をよく見ている子で、表に出しているだけじゃない本質的な部分といった意味での人の気持ちを理解することに長けているのもこの頃からだった。一種の才能なんだろうなとすら、思っていた。し、今も思っている。

夏のオーデでちびジュ(死語その2)が大量に入った時だったから、同期は他の時期に比べると多い方だったけど、でも、また一人、また一人と季節が変わるにつれ、姿を見かけなくなっていった。分かる人にはあるあるだと思うが、現場で友達と話すのも楽しみだったから、Jr.がいなくなると友達が来なくなるのがすっごく寂しかったのを覚えている。Jr.もこんな気持ちなのだろうかなんて思ったりもした。

同日入所ではないから正確な同期とは言いがたいけど同期で今も現役でいるのは、阿部亮平くん、山田涼介くん、深澤辰哉くんぐらいではないだろうか。橋本くんとがっつり同期というとOくんのイメージが強すぎるけどもう一般人なので割愛。

個人的には、橋本くんの8年間のJr.生活でシンメらしいシンメだったのは深澤くんだけだったように思う。先輩たちを見ているとJr.の時のシンメの存在ってその当時もその先の人生においても大きいものだと思うから、唯一のシンメが今も同じ土俵にいてくれることになんだか安心しつつ、深澤くんには深謝したい所存。余談ではあるが、当時、W誌がフレッシュジュニアをよく取り上げてくれていて、橋本くんも載せてもらっていたように記憶している。舞台など行ってみないと出るか出ないかわからないものに比べ、少クラ、Mステ、ヤー、ヲタ誌はだいたい出てくれるから本当にありがたかった。

わたしから見ると、橋本くんのJr.時代は比較的恵まれていたように思う。寧ろ、他のJr.と比べたら恵まれすぎていたようにすら感じる。

橋本くんの努力や頑張りはもちろん、入った時期のタイミングの良さもあったのか、雑誌には早いうちに載せてもらって、Mステのバックにもすぐにつけてもらっていた。それに加え、割と早いうちから目立つところで踊らせてもらって、先輩の曲ではあるが、ソロパートまでもらっていた。これを出世コースと言わずして何と言う??と当時のわたしは、本気で思っていたし、何の気なしに行った2005年春の先輩のコンサートで橋本くんが一人でマイクを持って出て来た時は驚きすぎて、これは、もしや、時代きちゃう?なんて思ったりもした。わたしが基本好きな子には甘いということもあるが、それを差し引いても本当に橋本くん界隈ではズバ抜けて橋本良亮くんが断トツ可愛かったし、かっこよかったので、早く見つかれ!とずっと思っていたから、恵まれていたというものの体感としては遅いくらいで、お!やっと事務所の人に見つけて貰えた?という気持ちすらあった。

話は逸れるが、この頃、アクロバットのある技の練習をしていると橋本くんが話していたことをよく覚えている。そのアクロバットを今では当たり前のようにやっていて、しかもアクロバットを売りにしているグループにいるなんて。そう思うと本当に12年という時の重みを強く感じる。今も昔もそれを見ている自分の感情は変わってないけど。(またまた余談ですが、この頃、現場にいた子達でまだファンやってる子いたら連絡ください。飲みましょう。みんなもういい大人だよね。)

そんなこんなで2005年にはJJになり、高木くんスキスキがはじまり、2007年には平成がデビューし、はっしー反抗期に。毎度お馴染み地元の親友とピアス開けて髪染めて母ちゃん泣かせてやめるっていうなんともはっしーらしい反抗期(笑)

(略)

でも 思ってるだけじゃ

前に進めないし 成長もできない
だからね頑張って 頑張って

頑張ることに 決めたよ

がんばるよ、くよくよしない、いつか来る

も確かここら辺。

いつかが来たね、本当に良かったね。嬉しいよ。

そして、真田佑馬くん、野澤祐樹くんとのTOP3を経て、2008年にA.B.C-Zに。

T新くんがいなくなり、S央くんが入ったり、4人に戻してみたり、迷走してるなー、いっそ辰越戻そうよー!なんて思いつつも完全部外者の気分で見てたらまさかの橋本くん加入。それを聞いた当時のわたしの第一声は、「いやいやいやいや、ジャニーさん冒険したな!」だった。確かに、この時期前にというかJJ時代からジャニーさん×橋本くんのエピソードは風の噂レベルから公式で話されているものまでちらほら耳にしていたからいつか何かがあるのだろうとは思っていたけど、それほどまでに予想外の出来事だった。

当時のA.B.C.は誰のバックについても完璧に仕事をこなす職人集団で、この人達何人いるの?って思うくらい、いろんな仕事を同時進行で行っていて、ジャニーズのファンで彼らを知らない人はいないだろうというくらいの確固たる存在であった。Jr.でありながらにして。

でも、橋本くん本人も後々、(A.B.C-Zに入った時)『俺はデビュー出来ないんだって思った』みたいなことを話していたけど、それはファンもなんとなく思っていたことで。わたしも、漏れずに「あぁ、やっぱりはっしーもデビュー出来ないか。あんなに『デビューしたい。トップになりたい。』って言ってたのに。デビューさせてあげたいのにな。」って思った。

でも、同時にこれである意味安泰だなとも思った。本人が辞める道を選ばなければ、見られなくなることはないと思ったから。あんなにいろんなユニットができては無くなっていく中で、不思議なものでA.B.C.が、A.B.C-Zがなくなると思ったことは一度もなくて。そこには絶大なる信頼があった。だから安泰だなと思った。それとA.B.C.も好きだった身としては、正直なところ、ほんのちょっと、橋本くんが起爆剤になって、A.B.C.の未来を照らしてくれるのではないか、現状を打開してくれるのではないかなんて淡い期待もした。だけど、ファンとは我儘なもので、素直で甘えん坊で寂しがりなまだまだちっちゃいはっしーが同世代の子達と一緒にいる未来も見たかったななんて思ったりもした。

でも、実際、A.B.C-Zの名を貰ってそこでやっていくんだと腹を括った橋本くんの覚悟は並大抵のものじゃなかった。A.B.C-Zに入って、橋本くんの顔つきはガラッと変わった。負けず嫌いを前にもまして表に出すようになった。自分の存在を主張するかのように。

橋本くんのことをこんなに見てきても何もしらないわたしの想像に過ぎないが、橋本くんは他人の気持ちに人一倍敏感な子で、だからこそ他人のことを思いやれる子で。でも、だからこそどう見られているのかといった他人からの目が人一倍気になる子で。だから勿論、A.B.C.のファンで受け入れてくれない人がいることも、A.B.C.に入ることに心配している自分のファンがいることも全部全部分かっていて。

臆病な自分を蹴散らして、ガムシャラに4人の背中を追いかけていたのはきっと、当時の橋本くんの精一杯の意地だったのかもしれない。4人にいっぱい話しかけて仲良くなろうとしてたのも。普段はともかく、技術の意味では、年下だから、とか経歴が違うから、なんて理由で同じグループにいながらにしてレベルが違うことを良しとする4人ではないからそれはもう大変だったんだろうなと当時、思っていた。...ことを今これを書きながら思い出した。歳を重ねたからなのかキャラを意識してるのかA.B.C-Zに入った橋本くんは段々と変わっていった。よくもわるくも。きっと経歴も何かもかも違う4人とやっていく上で、キャラを確立するのも大変で且つファンの子への魅せ方など諸々考えた上でなんとか模索しながら辿り着いたキャラがあの橋本くんだったのだと思う。でも、ファンのエゴだけど、知らない橋本くんになってしまったみたいでそれがなんだかすごく寂しくて、モヤモヤしたこともあった。クールキャラなんて目指さなくていいから、4人に合わせて大人になろうとしなくていいから、素のままでいっぱい4人(とファン)に甘えたらいいのに!なんて思ったりもした。正直。今だから言えるけど。(今、昔の記事を見返してみると滅茶苦茶弟要素でてるけど当時はそう思っていた。)

だからか、A.B.C-Zになって初期の頃は、ふとした時に、昔のはっしーみたいな表情が見えるとなんだかすっごく幸せな気分になったのを覚えている。し、すっかり大人と呼ばれる年齢になった今も昔のような表情や考え方や癖、仕草が出ると幸せな気分になる。あぁ、変わってないんだなってほっとする。(語弊があると困るから補足するが、断じて成長してないとか成長してほしくないとかそういうことではなく、面影的な意味で。)

そして、2012年のデビュー。

A.B.C-Zの背中を見てきたJr.も先輩たちも先輩のファンもみんなA.B.C-Zのデビューを自分のことのように喜んでくれていたのがA.B.C-Zのファンとして、橋本良亮くんのファンとして、すごくすごく嬉しくて、すごくすごく誇らしかった。
その声こそが、今までA.B.C-Zが積み上げてきたもの、そのものだった。

多分この先、万万が一に橋本くんのファンをやめるような日が来たとしても、この日のことは、一生忘れないんだろうなあと思う。

1月31日、デビュー前日にお渡し会とデビューイベントで見た橋本くんは本当にキラキラした目をしていて本当に嬉しそうで。
橋本くんの未来はきっと、明るいものになるんだろうなって。その未来をずっと見ていられるんだって、一緒に歩めるんだって涙が出るくらい嬉しかったのを覚えている。

でもどこか夢を見ているみたいで、現実味がなくて困惑した自分がそこにいたのも事実だった。

CDを購入するのに今はなきShibuya-AXの前に並んでいると側面に黒いスーツを来たA.B.C-Zの写真+デビューDVD 2月1日発売!、背面にはA.B.C-ZがジャンプをしているデビューDVDのジャケ写がかかれたデコレーショントラックが走ってくるところに出くわした。

それでもまだ実感なんて生まれなくて、それは橋本くんに会っても同じだった。

実感が湧いたのは、真田くんの言葉とデビューイベント開始時にスクリーンの向こうから聞こえた円陣の掛け声、そしてスクリーンに映る5人の影を見た時だった。

この時、ポスターお渡し係にいた真田佑馬くんがポスターを渡しながらファン一人一人の目を見て『おめでとうございます!』と声を掛けてくれていて、その言葉を聞いて、「あぁ、A.B.C-Zはデビューしたんだ」って不思議なくらいなんだかストンと胸に落ちて、わたしはここで初めて泣いた。わんわん泣いた。

だから、個人的にコインロッカーベイビーズで橋本くんと河合くんと真田くんが共演したのは胸にクるものがあった。

デビューイベントのくだりは、当時の密着映像AtoZにも残っているので見てもらえれば分かると思うがtwitter

(略)

シルエットで5人がバーンッ!ってうつって幕が空いて眩い光の中にいるA.B.C-Zが最高に好きなんだよなあ。キラキラしてて楽しそうでファンとしてずっとステージに立たせてあげたくなる、あの感じが大好き。

と呟くくらい、A.B.C-Zのシルエットだったり、それに近しい演出が好きなのはデビューイベントの時の鳥肌が立つような衝撃が忘れられないからなのかもしれない。

2016年、今。きっと橋本くんは自分を変えようと模索しているんだろうなあと思う。年齢なのかグループが置かれている位置なのか他の外的要因なのか何がそうさせようとしているのか今はまだ分からないけど。だけど、わたしはファンとしてA.B.C-Zの橋本良亮くんを信頼しているから。だから、橋本くんが自分で選んで正しいと思った道を進んで欲しいなと思っている。今まで、橋本くんについてきて、後悔したことは一度もないから。

 

松浦亜弥さんの結婚コメントじゃないが、わたしの青春にはいつもはっしーがいた。
どんなに日常で嫌なことがあっても腐りそうになっても、一つ一つの仕事に真っ直ぐに向き合うはっしーを見て、わたしも頑張って毎日を生きようと思っていた。

その時が鮮烈に自分の中に焼き付いているから、わたしはきっとこれからもずっと、この先見ていく橋本くんにも昔の橋本くんを重ねてしまうと思う。
だけど、今の橋本くんのこともちゃんと見てるよ。これからもちゃんと見ていくよ。ずっとずっと大好きです。

はじめてのコンサート、はじめての舞台、はじめてのソロパート、はじめての個人のうちわ、はじめての映画、はじめてのドラマ、はじめての主演舞台、はじめてのソロコンサート、これまで、いっぱいのはじめてをありがとう。

ここまで連れてきてくれてありがとう。橋本くんと一緒にここまで来れて嬉しいよ。これからもいっぱいいろんなはじめて見せてね。

橋本くんが横に並ぶ4人とファンの子といつまでも笑っていますように。

12周年、おめでとう。

赤い星の君へ。

2016.9.7